特定非営利活動法人 若者と家族のライフプランを考える会(略称:LPW)
https://lpw.kyoto/
定休日:土・日曜・祝日
受付時間:10:00~17:00
- 京都府 若者等就職・定着総合応援事業 (基礎的就職支援事業)
苦手克服よりも得意を伸ばす。「若者と家族のライフプランを考える会」が絵画や音楽にこだわる理由。
地下鉄北大路駅からバスで数分、下鴨本通りの洛北高校前にNPO法人若者と家族のライフプランを考える会(以下、「LPW」)の下鴨事務所があります。
扉を開くと、1階は音楽のレッスン中。3階の応接室に案内していただき、LPWが運営する「あーと・すぺーす絵と音」の管理者・松井久善さんと協力会社の森下徹さんにお話を聞きました。途中から理事長の河田桂子さんも参加されました。
左が松井久善さん、右が森下徹さん。
広がり続けるLPWの活動
まずLPWについてですが、LPWはアートや音楽を通して、ひきこもり、発達障害などの若者の自立と社会参加を応援しているNPOです。
2010年に準備会が立ち上がり、2015年には就労継続支援B型事業所「あーと・すぺーす絵と音」が開所。2016年にはひきこもりの方や障がいのある若者と地域社会の人たちとアートで出会う場所であるLPWたかの分室「ぎゃらりーたかの」が開所されました。
ほかにもさまざまな取り組みがありますが、今回はひきこもり支援に関する取り組みを中心にお伝えします。
京都府や京都市の委託・補助事業として、以下のような将来設計の支援や就職支援事業、社会参加支援事業をされています。
① こころのサポート、ふれあい交流サロン事業(精神的に孤立しがちな方が参加できる地域のサロン)※京都市委託事業
② 京都市ひきこもり支援事業補助金「第2回京都絵画公募展」※京都市補助事業
③ 「京都府ひきこもり当事者と家族等の将来設計支援事業」(ライフプランセミナー、個別相談(ファイナンシャルプラン、法律、社会保障、発達障害))※京都府委託事業
④ ひきこもり社会参加支援事業「40歳からの居場所研究会」「バンド練習」「油絵オンライン講座」※京都府補助事業
⑤ 京都府若者等就職・定着総合応援事業(基礎的就職支援事業)「M塾」※京都府補助事業
社会参加支援としては④の事業で「40歳からの居場所研究会」や「バンド練習」「Zoom油絵教室」などを行っているほか、⑤の事業で将来設計を考える「M塾」という講座を実施しています。(現在はコロナ禍のためオンライン開催)
そのM塾の講師が、ご自身もひきこもり経験があるという森下徹さんです。当事者団体の理事やスタッフでもあり、ホームページ制作やオンライン配信、オンライン居場所のお仕事もされています。森下さんは「堅苦しいものではなくて、テーマを決めずにオンラインで近況を報告しあいます。オンラインで情報交換することに慣れてもらう取り組みです」と語りました。
河田理事長に伺った話によれば、行き場がない人のためにはじめたものの、単年度事業でちょっとずつ開催してもなかなか育たないと感じてゼミを立ち上げ、それがM塾へとつながっているそうです。
利用者の流れ
利用者は何を通じてLPWにやってくるのか、松井さんに聞きました。
「いろんなパターンがあるんですけども、例えばうちのウェブサイトを見て直接見学してみたいという方もいれば、医療機関を使っている方だと、ソーシャルワーカーさんからの情報で来られる方もいます。」
松井さんは続けます。
「その後の流れとしては、例えば障害者手帳も持っている方で、就労に近づきたい、生活リズムを整えたい方には『京都ユースオフィス』を勧めます。就労支援B型事業所の中でもA型に近い形というか、スキル的にかなり高い方で、B型のままその先を目指すような方が参加されるような場所を用意しています。逆に『ここサポルーム』は主に家に引きこもっていて、どうしていいかわからない方や、どこに相談して良いかわからない方などが、最初の入口として利用されるところで、その人の状況に合わせて対応しています。」
「若者と家族のライフプランを考える」の名称通り、将来設計についても手厚いサポートがあるようです。
「ご両親、親御さんが高齢になられて、その先の生活をどうしていいかわからないなどのご相談を、 将来設計支援という形で受けています」と松井さんは語ります。
1週間にさまざまなプログラムがある。
LPW会報誌STEPに掲載された活動スケジュールを見ると、アートや音楽療法、バンド練習など文化的な講座が毎日続きます。
ここでZoomを使って「たかの分室」から中継が入りました。
LPW所属の若者(作家名マー君)の話では、取材当日、分室ではイラスト講座をされていたようです。写真の絵は祇園祭後祭りの宵山期間中に大船鉾テント内で販売されるうちわの絵柄なのだとか。
松井さんの話に戻ります。
「私がサポートしている方の中には日にちを決めてしまうと具合が悪くなる人もいるので、お母様とやりとりしてだいたい月2回ぐらい、当日の朝に連絡しあって私のほうから訪問するような支援も行っていましたが、コロナ禍の影響で今は訪問はできていません。」
ふたりはなぜ今の仕事をはじめたのか。
おふたりがLPWに関わるようになった理由を聞いてみました。まずは森下さんから。
「私自身もひきこもりの経験があって、当時は支援機関があるのは知っていたけど、行こうと思わなくて。ただ、仕事はしたい。でも知り合いもいなくて。最初はセルフヘルプ・グループ、自助会をやっていた時期もあります。その後はLPWでの活動ではないですが、他の支援団体で自身のデザイン力等を活かしてチラシをつくったり、テープ起こしや年賀状づくりなどの仕事を自分でつくっていきました。今もLPWの仕事で人とつながって、良くいえば孤立防止にもなるし、自分の得意なことで収入を得られたり、人の役に立ったりすると自己肯定感につながるし、仲間もできるし、という理由で取り組んでいます。」
松井さんは「これまで話したことなかったけど」と前置きしてから、お子さんの体調が悪くて、当時勤めていたアパレル企業を早期退職した話をしてくれました。
「入院が延べ10か月ほどになったもので。その経験があるので家族が大変だというのは身に染みていて、次の仕事は困っている人の手伝いができたらと思って、LPWに入りました。」
なぜ絵と音なのか? 河田さんがLPWをはじめた理由。
ここからは河田桂子理事長に伺いました。なぜ絵画や音楽だったのでしょうか。その背景はニューヨークで生活していた頃にさかのぼります。
河田桂子理事長(右)
「次男が現地の学校に馴染めなくて、アメリカで不登校支援施設を利用したんです。元気になったのですが、京都に戻ると帰国子女ということもあってまたいじめられて。当時、日本での対応がアメリカでの対応と全然違ったんです。」
日本は精神主義で抽象的なところがあると河田さんはいいます。「お母さんが深い愛情をもって寄り添ってあげれば不登校も治りますよ」と言われたそうです。
その後、「社会に馴染めない若者をなんとかしたい」とキャリアコンサルタントや産業カウンセラーの資格をとり、京都でひきこもりの若者を支援する団体でスタッフになったのだとか。
「少なくとも私にはアメリカでの合理的で具体的な支援の方が向いていたので、子どもたちは社会全体で育てていくものという考えをいろんな人に話していたら、あっという間に人が集まって、2010年に準備会ができて、2011年6月に法人化しました。たまたまですけど、息子が絵をほめられたことがきっかけで外に出られるようになったという経験もあって、苦手なことの克服よりも、得意な才能を伸ばそうと思ったんです。」
社会全体で育てていきたいとの思いがあるため、ここ数年のコロナ禍には困っているといいます。
「地域の中で助けてもらうんじゃなくて、地域の中で自分たちが役に立つことを目指してやってきたんですね。こちらから役割をつくろうと思って、地域のイベントとかに呼んでもらって、地域が高齢化してる中でテントを立てるお手伝いや、イベントで演奏するなどしていたのですが、そういう機会がつくれなくなってきたのが残念ですね。」
ただ、音響機材が整っているため、オンラインイベントやeスポーツなど、インターネットを使ったつながり方を試行錯誤しているといいます。
「かわいそうだから絵を買ってあげようとか、同情で支援してもらうことが一番良くないことだと思っています。NPOだからとか、ひきこもりだからじゃなくて、質の良いものをつくっていきたいです。」
LPWの活動に関心をもった方はぜひLコネクトまでご連絡ください。どんな内容でもお気軽にどうぞ。
取材・文/狩野哲也
取材日/2022.07.04